オンライン予約/当日の予約状況ツイート

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「ツイッター始めました!」が迷走中。

寒くなってきましたが、お身体の調子はいかがでしょうか。

晴雨堂の予約状況につきまして、皆様にお知らせする方法をいろいろ考えた結果、しばらくは、ここブログのトップにて、当日および翌日の予約状況をお知らせしていくことにしました。

毎日昼過ぎくらいに新しい情報に更新されますが、
その後予約状況が変わっていく可能性もありますので、目安としてお考えいただければと思います。

なお、「ツイッター始めました!」が、こちらは迷走中。
当初はツイッターで予約状況をお知らせしようと思ったのですが、無駄な情報をお知らせすることばかりになってしまうかもと思い、予定を変更。
こちらでは、急な営業時間の変更や臨時休業のお知らせ、および、おすすめの本や言葉なんかをつぶやいてみることにしようかと思っています。

走らせて行って、よりよい方法があれば、都度変えていこうと思います。

いろいろな情報やアドバイス、ありがとうございました!
今後ともぜひぜひお力添えをお願いいたします。

驚愕(しました私は)!!

久しぶりに糸井重里さんのHP「ほぼ日」をのぞき、
谷川俊太郎 作 / 松本大洋 絵 の、
『かないくん』なる絵本が出たことを知る。

松本大洋、とても好きで『鉄コン筋クリート』と『ピンポン』は晴雨堂に置いてある。
思えば、松本大洋を知ったのも大学時代、教えてくれたのは前出の友人だった。
(彼はほんとうに当時から素敵なものをたくさん知っていて、それらをいつだって惜しみなく差し出してくれた。)

大学時代に読んだ中ではとりわけ『ZERO』が好きだった。この作品には当時深く救われたという思いがある。たしか一時期自分でも持っていたけれど、何かのときに誰かにあげてしまった。たぶんもう手元に置く必要がなくなったのだろうと思う。

さて、その松本大洋が二年がかりで絵を書いたという『かないくん』なのだけれど、制作にまつわるエピソードを読んでいるときに、自分としては驚愕の事実を知る。

松本大洋は、工藤直子さんの御子息だった。

工藤直子さんと言えば、以前にも取りあげたとても好きな本のひとつ、『神話的時間』のなかで、谷川さんと対談しているメンバーの一人だった。
聴いてないものが聴こえるのに、見たものが思い出せない。

お話しされていること、内容やその言葉の選び方に惹かれ、何かの際には思い出される。私の記憶のインデックスのどこかに、彼女のその時の言葉やふるまいが、綴じ込まれているのを感じる。

その、工藤さんが、松本大洋氏のお母さんですか!!!!
し、知らなかった・・・・・。

そして、もちろんとてもうれしい。
なんかすごくうれしい。

『かないくん』はほぼ日ストアで買うことにした。
増刷中で、届くのはもうすこし先になるもよう。
届いたらまたお知らせします。
気になる方は、晴雨堂で、ぜひ手にとってみてください。
よければ、『神話的時間』と一緒に。


かないくん (ほぼにちの絵本)

かないくん (ほぼにちの絵本)

神話的時間

神話的時間

「今年も僕は、愛について考えるよ」 と彼は言った。

いろいろ考えていたら、昔の友人のことを思い出した。
大学時代の同級生であった彼は、いつも私よりたくさんのことを考え、たくさんのことを知っていて
「君の考え方は、本当に古代ギリシャ人みたいだなあ」とか
「君の言っていることは、この学者の先生が言っていることにすごく似ているよ」とか
「僕にはこの人の言っていることはどうしてもわからなかったけれど、君のような人になら、わかるのかもしれない」と本をくれたりして、思えば何かとたくさんのヒントをくれた。

恋人でもなんでもなく、本当に友人だったし、大学を出てからはほとんど会うこともなく20年近くが経つけれど、彼の言葉と存在は、今も確かに私のなかにあり、今ここにいる私につながっていることをはっきりと感じる。

彼から届いた大学時代のある年の年賀状は、旅行先の中国からだった。
記憶がたしかならば、そこには確かこう書かれていた。

「どうしてますか。

 僕は中国の子供たちと校庭でサッカーをしたり、
 おじさんたちと麻雀をしてボロボロに負けたりしています。

 日本の空は、今どんな色をしているだろう。

 今年も僕は、愛について考えるよ。」

とてもすてきな年賀状で、その後何度も読み返したし、今もきっとどこかにとってあると思う。(当時はいろいろな人と、メールだけじゃなく手紙のやりとりをしていたんだった。)

頭がとてつもなくいいのに少年のようでもある彼の、そのまっすぐな言葉が届く先のひとつが自分であることを嬉しく思った。

その後彼は地方の大学院に進み、彼の道を極め、キュレーターになった。

私は今年になって、これまでいろいろ考えたり積み重ねてきたことがぐっとつながってきて、自分にとって大きな意味を為すような何かが、自分の内側に立ち上がろうとしているのを感じている。
それらがなかなか面白いのでここで書いてみよう、と思うのだけれど、さてどんな風に書き始めようかと考えていたら、彼の言葉を思い出した。

私の考えていること、これから書こうとしていることも、きっと「愛」のことだと思う。そしてそれは、実のところあの頃からずっと考えてきたことだったかもしれない。そのことを彼は言っていたのだろうか。

いや、彼は彼のものとして「愛」について考えていたと思う。そして今も考えているだろうと思う。形を変えながら。彼の仕事には、かならず「愛」のようなものが込められているはずだと思う。

彼のような言葉で、書き始めたいと思った。

「どうしてますか。

 私は今年も、愛について考えるよ。」

彼のくれた本は、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』だった。当時も今もやっぱり難しくて、彼の想像したようには、私は理解できていないと思う。

でも私は面白いくらいこの人生で、「恩寵」についても考えているよ。


重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)

重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)

今年もよろしくお願いいたします

今日はこの冬一番の冷え込みとか。
お正月は穏やかでしたが、このところずいぶん寒くなりましたね。

6日から本年の営業をスタートしました。
今年も皆様にとりまして素敵な一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

年末からずっと「自分を大切にする」ということについて考えています。
自分を大切にしすぎると、人に迷惑をかけるじゃないかとか
人を傷つけるじゃないかと言うけれど、
本当にそうだろうか。

人を大切にしながら、自分も大切にする、というあり方もある。
自分を大切にせずにいるままでは、人を大切にすることも力を失ってしまう。
(このことは、いずれもうちょっとしっかり書いてみよう)

などとつらつら考えていたら、こんな格言を見つけた。

「他人に対して善行をなす者は、何よりも多く己自身に対して善行をなす。」
    ― セネカ(ローマ時代の哲学者)

いろんな意味がありそうだけど、私には
「自分自身をしっかりと大切にした上で、他人を大切にせよ」と聞こえた。

「自分を大切にすることの大切さ」を伝えることこそが、そもそも自分の仕事の大きな部分を占めるのことなのではないか、とあらためて思っている新年です。
・・・なんだかややこしいですが。笑

本年も、どうぞよろしくお願いいたします!

泣いていますが、おかまいなく。(最近の読み物:頂きもの編)

ある日急に小説が読みたくなって、ネイティブ・アメリカンの少年の話『リトル・トリー』を本棚から選び出した。
この本はずいぶん前(たぶん中学生のころ)に、叔母からもらった児童書。(良書を選んでは年齢に合わせてプレゼントしてもらっていたのに、何十年も読まずにおいてしまった。)晴雨堂で読むから、あまりややこしく込み入っていないものがよいと思ったのだ。

この日予約が入らず十分に時間があったので、結局、どっぷりと一冊読み切った。

終盤では、遠慮なく泣いておいた。
「今患者さんが入ってきたら、何事かと思うだろうなあ。」と思ってすこし笑ってしまう。(結局誰にも見られなかったけど。)

少年期のまっすぐなまなざし、まっすぐな勇気ややさしさが書かれたような話に、私はめっぽう弱い。自分のパーソナリティの大部分は、案外このくらいの年齢のままなのかもしれない。

この本とは全然関係ないけれど、もともと好きな言葉がある。

「まず、暗闇にひとりたたずむ孤児の口ずさむ歌のことを」

この言葉は、ジョン・ケージだったかフェリックス・ガタリだったか、ある本の中に出てくる言葉とのことで、別の著者の本のなかに引用されていた。ひとり口ずさむ歌とそのリズムの力で、暗闇・・・何も見えない無秩序に見えるところにも「生きたテリトリー」を創り出すことができるのだ、というようなくだりだった。

この部分だけ取り出してみたところで、意味も理路も全然伝わらないとは思うのですが、個人的にこの言葉と続く一連の文章に支えられてきた。ずっと大切に覚えていて、折につけ、思い出される言葉のひとつである。

落ち込んだときには、この言葉をひとりで唱えてみることもある。笑
私には、ささやかながら、お守りのような効果を持ち続けている言葉だ。

『リトル・トリ―』、この話はまさに「暗闇にひとりたたずむ孤児の、口ずさむ歌」そのものかもしれない。

ときに涙がこぼれるけれど、勇気をもって生き抜く、その力をくれるような本。


リトル・トリー

リトル・トリー

最近の読み物(借り物編)

先日、知人宅の本棚整理を手伝わせてもらう機会があった。
ふとした話の流れから「散らかり放題の書庫をどうにか片づけたいとずっと思っているんだけれど・・・」とつぶやく知人を「整理しましょうよ。今やりましょう、今!」とけしかけて、書庫に入れてもらったのだ。
とても人に見せられる状態じゃないからと最後まで渋る知人を押し切って入れてもらったその書庫は、窓のある3畳ほどの部屋。一面は窓で、三面の壁のうち向かい合わせになった二面に、天井までの本棚が作りつけてあり、窓と向かいあった残りの一面には、奥行きの深い、重そうな本棚がどんと置かれている。二面ある壁面書棚はすでにびっしりと埋まっており、捨てられない書類だとかが詰まった段ボールが、その前に積まれているせいで、腰から下の棚はほとんどが隠れてしまっている。
高い所には、文学全集や古い専門書がずらりと並ぶ。残りは時代物の大衆小説の文庫と比較的新しそうな人文系の単行本で、これらは手の届く高さの棚に乱雑に積まれている。(文庫は小さいので、占めている面積は全体の1割くらいだけれど、冊数としては全体の半分くらいにあたると思われる。)
ざっと見ても全部で6〜700冊以上ある。
とりあえずその日は、無造作に詰まれたままの大量の文庫から整理していくことにした。

藤沢周平池波正太郎平岩弓枝津本陽・・・
次から次と出てくる文庫本を、色分けしたり、シリーズ分けして並べていく。「これだけある小説の内容、覚えているんですか?」と知人に尋ねたら、おおかた覚えているというから、この人の中にはこれだけの物語が収まっていたのかと静かに驚いた。
きっとここにあるたくさんの本のたくさんの登場人物が、この人の中には生きて住んでおり、いろいろな正義や欺瞞、いろいろな解決や葛藤が、きっと自身の経験のようにして生きているのだろうと感慨を覚えた。
2人で埃をかぶり大汗をかきながら、2時間ほど整理を続けた。
なかなか大変な作業ではあったけれど、なにより、楽しかった!(結局たいして片付かなかったから、ほとんど私が楽しむためだけの時間だったかもしれない。)

人の本棚の整理はとても楽しい。(自分のも、もちろんとてつもなく楽しい。)
そのうえご褒美のように、その書庫の中の2冊を借してもらった。

1冊目はこれ。

閉ざされた心との対話 (心理療法の現場から (上))

閉ざされた心との対話 (心理療法の現場から (上))

カウンセリングの現場にいる心理療法家たちと河合隼雄氏との対話を集めたもの。さっそくその片づけの翌日、半日あったフリーな時間に、一人でランチを食べながら読んだ。
それぞれのカウンセラーが経験した印象深いケース(多くは成功したと思われるケース)を中心に取り上げているので、偏りはあるのだろうとは思う。とはいえ、人の、若者の、子どもの、母親の、妊婦の、心というもの、その言いようのない存在の大きさと持っている力のすごさに圧倒される報告ばかりで、とても面白かった。ぐっと来て、涙が出るエピソードも多かった。

自分は話の中に出てくるクライアントのように家庭内暴力を起こしたことはない。暴力を振るう夫に悩まされたこともない、長期に渡る登校拒否もない、未熟児を生んだ経験もないし、小さなころから喘息に苦しんだこともない。それなのに、あるとき心理療法家のもとを訪ねて、そしてその人生のひと時をそこで共有し、いつしか自分の足で離れていく、出てくるすべてのクライアントが自分であるようにも思えた。それぞれのクライアントがいろいろなやり方で示した「生きていく力」「生き延びる力」みたいなものは、人の持つ力であり、すなわち自分の中にも確かにある力だと感じた、と言い換えてもいいかもしれない。
ユング心理学や、箱庭療法を日本に導入した河合氏の傾向として、認知や論理よりも感覚・イメージを大切にするという点が、自分が近年興味を持って勉強し続けている心理療法「フォーカシング」にも深くつながるということが改めてわかり、心強く思った。

あまりによかったので、やみくもに、一泊二日の出張に出るパートナーに「ぜひとも読んで!」と押し付けておいた。
そうだ今度あの人にも勧めておこう、それからあの人にもこの話をして、そして次はこの人にも読んでもらって・・・、といろいろ思い浮かべて勝手にわくわくしている。(わくわくするだけならいいじゃないですかー。)
興味のある方は、ぜひどうぞ。


借りたもう1冊はこれ。
こちらも面白そう。勢いづいて、この2冊目も近々読みたい。

人は成熟するにつれて若くなる

人は成熟するにつれて若くなる