おとだけがとおりぬけていく

星野源」という人の音楽が以前から気になっていて、図書館に一枚だけあった、
彼のバンド「サケロック」の『ホニャララ』というCDを、待ちに待ってやっと借りることができた。

ホニャララ

ホニャララ

これが素晴らしくて、まいってしまった。
全曲歌なしのインストゥルメンタル
どの曲もあまりに気持ち良くて、うなりながら聴く。

そしてこれを聴きながら、
これまた図書館で借りた、谷川俊太郎の詩集『みみをすます』を読む。

みみをすます (福音館の単行本)

みみをすます (福音館の単行本)

この本は以前にも書いた「ボクらの時代」の鼎談(谷川俊太郎×薮内道彦×工藤官九郎)
聴いてないものが聴こえるのに、確かに見たものが思い出せない。 - 今日も、晴雨堂で。
のなかで、薮内氏が紹介していたもの。
彼は大学浪人をしていたとき、一日中誰ともしゃべらない日には、
この本をひとりで声に出して読んでいたという。

帯には

このひらがな長詩は、和語だけでどれだけ深く広い世界を謳いあげることができるか、
著者があしかけ十年にわたって問い続けてきたことに対する、自らの完璧な回答です。

とある。

本を開くと、すべて大きなひらがな。(ときどきカタカナ)
なんともいえず引き込まれる、「音のよみもの」だった。

少し前からちらちらと見てはいたのだけれど、これは内容が/意味がどうのというような読み物じゃない。どこでもいつでも読める簡単なものだけれど、簡単でも、テレビとか観ながら読んじゃいけない。そう思って、時が来るのを待っていた。
今日は晴雨堂のソファーで『ホニャララ』をかけながら、ちゃんと読むことにする。

『みみをすます』はこんな調子↓

(・・・)

つきがかけ
つきがみち
ぼくは
あゆんだ
こいしにつまずき
ひいてゆくなみを
あしのうらにかんじながら
かぞえきれぬほどの
なまえを
ひとつまたひとつと
おぼえ
とうすみとんぼを
すきといい
むかでを
きらいといい
にじのいろをかぞえ
にじに
てのとどかぬことをおぼえ
わすれながら
おもいでをためこみ
みようみまねで
あすをうらない
おしえられるまま
めにみえぬものに
てをあわせた

(・・・)

『みみをすます』 「ぼく」 より一部抜粋

読んでいたら、まるですっかり、時間を忘れた。
音だけが通り抜けた。

・・・

よんでいたら
まるで
すっかり
じかんをわすれた
おとだけがとおりぬけた

そんなひもある
きょうも
せいうどうで