誰もが「明日の家」に住んでいるのだ。

友人からもらったある本の冒頭に、子どもについて書かれた詩の引用がある。
印象深かったので、うろ覚えながら時折思い返していたのだけれど、
思い立ってちゃんと読み返してみたら、なかなか興味深かった。

調べてみたところ、それは厳密に言えば詩ではなく、カーリル・ジブランというレバノン出身の思想家の『The prophet(預言者)』という本の中のことばだった。
ある港町に流れ着きそこに住み着いた「預言者」が、ついに次の地へと発つ時を迎える。別れを惜しみ最後の教えを請おうとする人々の問いに、預言者はその智恵を尽くし、ひとつひとつ答えていく。
「子どもについてお話しください」と促された預言者の答えが、この引用された部分だったらしい。

Your children are not your children.
They are the sons and daughters of Life's longing for itself.
They come through you but not from you,
And though they are with you, yet they belong not to you.

You may give them your love but not your thoughts.
For they have their own thoughts.
You may house their bodies but not their souls,
For their souls dwell in the house of tomorrow, which you cannot visit, not even in your dreams.
You may strive to be like them, but seek not to make them like you.
For life goes not backward nor tarries with yesterday.

You are the bows from which your children as living arrows are sent forth.
The archer sees the mark upon the path of the infinite, and he bends you with his might that his arrows may go swift and far.
Let your bending in the archer's hand be for gladness;
For even as he loves the arrow that flies, so he loves also the bow that is stable.

あなたの子どもはあなたの子どもではない。
子どもたちは、生命が生命そのもののために望んだ息子や娘である。
彼らはあなたを通してやって来るが、あなたから来るのではない。
あなたとともにいるが、あなたに属するのではない。
彼らの身体を家に住まわすことはできるが、
その魂を囲い込むことはできない。
子どもたちの魂は、あなたが夢の中ですら訪れることのできない、
明日の家というところを住まいとしているのだ。

彼らに愛を与えてもよいが、考えは与えてはならない。
考えは彼ら自身が持っている。
あなたが彼らのようになろうと努力するのはよいが、
彼らをあなたのようにさせようとしてはならない。
生命は決して後ろには進まず、昨日に留まりもしないからだ。

あなたは、あなたの子どもたちが生きた矢としてそこから放たれる、弓である。
矢が速く遠く飛ぶように、
天の射手は無限の道程の先にある的めがけてその弓を力いっぱい引き絞る。
射手の手の中で自らが強くたわめられることを、喜びとせよ。
彼が飛びゆく矢を愛するとき、彼はまた、その弓の動かぬことをも愛するのだから。

(自分なりに訳してみました。なのでところどころ微妙。あしからず。)

2年くらい前に初めて読んで以来、いつか子ども持つことがあったらこんな風に、
ちいさくとも独立した生命であるその人の存在や考えを、
敬意を持って尊重するような意識であり続けられたらいいなあ、とずっと思ってきた。

今もそれは変わらないのだけれど、今回改めて興味深く思ったのは、
このことばのなかに貫かれている「時間」や「未来」についてのとらえかただった。

「時は絶えることなく流れ続け、生命は常に前へと進み、決して留まることはない。」

とことばは言外に繰り返し告げている。
(ゆく河の流れは絶えずして・・・『方丈記』に通ずるようだ。)

この「預言者」のことばを信じるならば、
ほんとうは「自分の」ものとして捕まえたり留めたりすることができるものなんて、何もないんじゃないだろうか。

それと同時に、私たち自身も、生命自身に望まれて生まれてきた、
「誰かを通してやってきたけれど、誰かから来たのではない」
明日に住まう魂をもつ「子ども」でもあって、
誰からも何からも捕らえられたり、縛られたりすることはない。

矢を見送る私たちも、かつては生きた矢として放たれ、
また飛びゆく矢も、いずれは弓となって新たな矢を送り出す。

つれづれなるままにそんなことを考えて、
飛びゆくすべての矢が、どれも、遠く強く、しなやかに進んでゆくといいと、ただ思った。
そのための静かな良き弓に、喜んでなろうと思う。
かつて放たれた矢としては、強く引き絞られた弓を遠くに仰ぎ見ながら、行けるところまで行ってみよう。
(単純であるー。笑)

預言者」はほかにも「愛とは」「友情とは」「死とは」というような問いにも答えているもよう。
いずれゆっくり読んでみたい。
何人かの人が訳しているみたいだ。以下は一部で、まだまだある。
誰の訳で読もうかなー。


預言者

預言者

預言者のことば

預言者のことば

よく生きる智慧~完全新訳版『預言者』

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預言者 The Prophet

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