「今年も僕は、愛について考えるよ」 と彼は言った。
いろいろ考えていたら、昔の友人のことを思い出した。
大学時代の同級生であった彼は、いつも私よりたくさんのことを考え、たくさんのことを知っていて
「君の考え方は、本当に古代ギリシャ人みたいだなあ」とか
「君の言っていることは、この学者の先生が言っていることにすごく似ているよ」とか
「僕にはこの人の言っていることはどうしてもわからなかったけれど、君のような人になら、わかるのかもしれない」と本をくれたりして、思えば何かとたくさんのヒントをくれた。
恋人でもなんでもなく、本当に友人だったし、大学を出てからはほとんど会うこともなく20年近くが経つけれど、彼の言葉と存在は、今も確かに私のなかにあり、今ここにいる私につながっていることをはっきりと感じる。
彼から届いた大学時代のある年の年賀状は、旅行先の中国からだった。
記憶がたしかならば、そこには確かこう書かれていた。
「どうしてますか。
僕は中国の子供たちと校庭でサッカーをしたり、
おじさんたちと麻雀をしてボロボロに負けたりしています。
日本の空は、今どんな色をしているだろう。
今年も僕は、愛について考えるよ。」
とてもすてきな年賀状で、その後何度も読み返したし、今もきっとどこかにとってあると思う。(当時はいろいろな人と、メールだけじゃなく手紙のやりとりをしていたんだった。)
頭がとてつもなくいいのに少年のようでもある彼の、そのまっすぐな言葉が届く先のひとつが自分であることを嬉しく思った。
その後彼は地方の大学院に進み、彼の道を極め、キュレーターになった。
私は今年になって、これまでいろいろ考えたり積み重ねてきたことがぐっとつながってきて、自分にとって大きな意味を為すような何かが、自分の内側に立ち上がろうとしているのを感じている。
それらがなかなか面白いのでここで書いてみよう、と思うのだけれど、さてどんな風に書き始めようかと考えていたら、彼の言葉を思い出した。
私の考えていること、これから書こうとしていることも、きっと「愛」のことだと思う。そしてそれは、実のところあの頃からずっと考えてきたことだったかもしれない。そのことを彼は言っていたのだろうか。
いや、彼は彼のものとして「愛」について考えていたと思う。そして今も考えているだろうと思う。形を変えながら。彼の仕事には、かならず「愛」のようなものが込められているはずだと思う。
彼のような言葉で、書き始めたいと思った。
「どうしてますか。
私は今年も、愛について考えるよ。」
彼のくれた本は、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』だった。当時も今もやっぱり難しくて、彼の想像したようには、私は理解できていないと思う。
でも私は面白いくらいこの人生で、「恩寵」についても考えているよ。
重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)
- 作者: シモーヌヴェイユ,Simone Weil,田辺保
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