聴いてないものが聴こえるのに、確かに見たものが思い出せない。

好きで録画して観ているTV番組のひとつに、日曜朝7時からの『ボクらの時代』がある。

ボクらの時代 - フジテレビ

毎回、何らかのつながりのある3人が登場し、好きに会話をして終わる、30分の鼎談番組。
昨年末、谷川俊太郎(詩人)×箭内道彦(コピーライター)×工藤官九郎(脚本家)という「言葉がなりわい」つながり(?)の回があった。
若手の2人が谷川氏との鼎談を希望したとのこと。

録画したこの回のトークをなぜか繰り返し観ている。(ときには観終わってそのまますぐにもう一度再生したりして。)
3人のトークが面白いからに違いないんだけれど、何が面白いのか自分でもよくわかっていない。

とりあえずわかっていることを箇条書きにしてみると

  • 谷川氏に興味がある。
  • 箭内氏が話しているのをはじめて見たけれど、なんだかとても好感がもてた。
  • 箭内氏への好感の理由は、たぶんその、人に対する「リスペクト」の姿勢。正直さと誠意。それらがぴたっときている感じがすること。
  • 三者三様に、「言葉や物語の立ち上がり」をとらえることを仕事にしている人たちの、
  • 「言葉の立ち上がりの瞬間」についての話を聞きながら、まさに彼らの「言葉や対話が立ち上がる」現場を目の当たりにする、心地よいめまい感。

・・・うまく言葉にならない。
観ていると、気心の知れた大好きな友人たちと話しているような気分になる。大笑いしながら真剣でもあって、旧知でも新しくて、濃厚なのに心が広々とするような。
彼らが過ごしているその「場」と「時間」が好きなのかもしれない。

繰り返し観ていたら、以前聴いた谷川氏の対談のことを思い出した。
―といっても実際に聴いたわけではなく、本で読んだ対談のことだ。

神話的時間

神話的時間

簡単な本なのに、不思議な読みごたえがある本。
冒頭には鶴見俊輔氏による、まるで目の前でぽそりぽそりと語られているかのような、老人と子どもが生きる「神話的時間」についての文章がある。(これもなんとも素晴らしい。)
その後にいくつかの座談の様子が収録されている。

この本はその当時住んでいた町の図書館で、書架の間をふらふらと歩いていて見つけた本だった。延長を繰り返しながら長く長く借り続け、何度も聴きなおすようにして読み返して、まるで実際に谷川氏の声を聴いたかのように、笑い顔を見たかのようにして対談の内容を覚えている。

それなのに、それなのに!この本を借りたのがいつのことだったか、どこの図書館でだったかは、全然思い出せない。
聴いていないものが聴こえるのに、確かに見たはずのものを、全然思い出せない。